ブロンプトンのこと ①

ブロンプトンとは1975年にイギリスでアンドリュー・リッチーによって創業された折りたたみバイクメーカー及びその製品。イギリスはもちろんヨーロッパ各国でも人気が高く、自転車通勤や旅先の移動手段としてよく使われている。

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東外大のホールで

 

イギリス製の折りたたみ自転車ブロンプトンのことを知ったのは6年ほど前の事だった。そして一目惚れした。当時はロードバイクとマウンテンバイクに乗っていたが、何か新しいバイクが欲しくなりあれこれネットで探していた。そうこうしているうちに折りたたみ自転車の世界に興味を持った。折りたたみ自転車と言うと、なにか安物だったり走行性能がイマイチだったり、マイナスのイメージが先行しがちだけど、たとえば、ドイツ車のバーディーなんかみたいに、かなり高い走行性能を誇るものもある。折りたたみの方法も、一般的な横に二つ折りになるもの、縦に二つ折りになるもの、縦横に三つ折りするもの、など多彩だ。その中でもブロンプトンの折りたたみ機構は異彩を放っていた。湾曲した独特なメインチューブの形状が可能にする三つ折りの機構は16インチの小径タイヤのお陰もあって、折り畳まれたサイズは世界最小なのだ。折りたたみのギミックも素晴らしく30秒もあれば、折り畳んだり、展開したりができる。折りたたみの時間を競う世界大会なんかもあって、世界記録は6秒ほどだったと思う。折り畳めばそのままロックされるので持ち運んでもバラけない。展開すると少しクラシックなフォルムが美しい。そして折り畳まれた姿はもっと美しい。

良く計算されたギアのせいもあって最高速は、そのカタチが予想させるものと違って、かなり早い。発売以来数十年ほぼ同じカタチで販売されている、折りたたみ自転車の完成形なのだ。

ネックはその価格。必要なオプションを入れるとおよそ20万円❗️ (最上級モデルは60万円ほど)ロードバイクを買うなら最低限の価格だけど、折りたたみにしてはかなり高額。で、あれやこれや代替品を探したのだけれどすぐに、そんなものはない事に気付かされた。ブロンプトンブロンプトン。唯一無二の存在なのだ(笑)

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そんな訳で意を決して買うことにしたのだが近所では売っていない。北海道では当時住んでいた家から280キロほど離れた札幌にしか販売店がないのだ。

やっと買うことができたのはしばらくあと。当時参加していた札幌での音楽イベント、「下町のパリ祭」に出演するために出かけた際、めでたく購入する事となった。一目惚れしてから一年程経っていた。

つづく。

 

 

僕の(44歳からのだらだらした)英語学習人生

44歳まで英語弱者だった僕が英語を独学し、50歳で、英検準一級、Toeic 820点を取得するまでの、長くてダラダラした道のりを振り返ってみました。

44歳のある日、突然英語を学びたくなった。英語なんか全く縁のない生活をしていたけど、なんの脈絡もなくそう思った。

かと言って、どうして良いのかわからなかったので、当時住んでいた場所に近い川崎の書店に参考書を買いに行った。当時は、今と違ってそれほどネットが発達していなかったので、予備知識なしで行った。けっこう長い時間をかけて選んだのが、単語帳DUO3.0だった。

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5000語レベルの単語(英検2級、Toeic500レベル)と540の例文が載っており、別売りのCDを買うと全例文の音声が聴ける。当時の僕は高校出て以来英語に触れたこともなく(音楽学校へ進学したので)、完了形の何たるかすら憶えてていない英語弱者だった(笑)DUOに載っている単語も知らないものばかりだった。挫折しながらも何とか540の例文を丸暗記した。これをやり遂げられたのは単にチカラ技。僕のアスペルガー気質(同じことをやり続けるのが得意、楽器の練習にも向いている)のせいもあると思う。結果的にはこれを選んだのは正解だった。この単語帳の例文をひたすら音読し、だらだらと3年かけて(飽きて全く手にしないことも何度もあった)およそ50周くらいした時には英検2級に合格した。(この単語帳を丸暗記するだけで誰でも英検2級に合格できると思う)ちなみに二次試験の面接は満点だった。この日は、2級と準2級を同時に受けたのだが(英検は隣り合った2つの級の同日受験ができる)、準2級の会場は女子中学生、2級の会場は高校生ばかりで少し恥ずかしかった。僕の年齢だと、受験生というよりは引率の先生みたいな歳のおっさんだったから(笑)

この単語帳を50周もすると例文はすべて暗記出来ているし音読で口にも馴染んでいるので、例文の一部でも引っ掛かれば瞬時に文の全てが思い出せるようになる。暗唱出来ているせいでリスニング力もついて英検2級くらいのリスニングなら苦労しない。この時期、中学生だった娘にもこの本を買い与えて一緒に勉強した。娘の成績は爆伸びして中2で2級、高1で準一級に合格して、のちに東京外国語大学国語学部ドイツ語科に現役合格した。

娘が中2のとき、一人でニュージーランドへ2週間短期留学へ行ったことがあった。ある英語コンクールで優勝してその賞品として与えられてのだ。現地では、あるお宅にホームステイしていた。14歳の娘がよくも一人で行ったものだと今でも感心するが。帰りは、いろいろあって僕が(1人で)ニュージーランドまで迎えに行った。僕にとって初めての海外旅行が1人旅だったが、生来楽天家の僕に不安はなかった。。突然の渡航だったので、4日前に予約した航空チケットは高額(35万円くらいだった。)だった。

その旅行を通して、英検2級はかなり使えることがわかった。機内で隣合った人(ニュージーランド人の男とドイツ人の女性のカップルだった)との会話。CA(僕のズボンにシャンパンをこぼした)との会話。オークランド市内でホテルのチェクイン、買い物、レストランでのやりとりには苦労しなかった。道を尋ねたコンビニのおっさんとは気が合い「友達」と呼ばれた。2泊した2日目、娘のホームステイ先に招待され、ホテルをキャンセルして泊めてもらった。その夜は庭のバーバキューでもてなされた。その際数時間、ご主人と英語で話していたのだが、何とかなった。ご主人は、留学生を受け入れ慣れている方で、ノンネイティブとの会話に慣れているのだろうとは思ったが、それでも2級のレベルがあれば充分、海外で一人で旅行できるのだと思った。

 

2級合格後すぐに英検準一級の勉強を始めた。本当は2級に合格したらもう英検はやめようと思っていたのだが(だって50になろうとしている僕には英語を学ぶ必然性は全くなかったので)、どうも「2級」の「2」という響きが気に入らず、「1」と言う響きを手に入れたくなったのだ。しかし仕事しながらの中年おじさんには準一級への道は思ったより険しかった。まず単語の壁。単語レベル5000語の英検2級くらいまでは何となく想像力でカバー出来た単語も多かったが、7500語レベルの準1級の単語になると、抽象的な意味を持つ単語が増えて、意味を推察すのも、暗記するのも苦労した。次に文法の壁、僕は文法の知識をほとんど持っていなかった。2級までならそれでも知っている単語を適当に繋ぎ合わせて何とか理解できた。しかしそんなやり方は準一級の長文理解では歯が立たない。

さらに厄介だったのはリスニング。文がとても長くなるので聴いているうちにワケがわからなくなった。原因は中高で教わった「帰り読み」だ。特に関係代名詞を含む文だとお手上げ状態だった。帰り読み的理解だと、準一級レベルのリスニングには全く太刀打ちできない。あまりに進歩しないので一時は取得を諦めかけたが、試行錯誤の結果、リスニングに特化した教材「スーパーエルマー」を使うことで乗り切った。

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この教材は以前から知ってはいたがネーミングが胡散臭いので敬遠していた。しかし、いろいろ調べるうちに僕の目的によく合った教材だとわかったのだ。この教材は英語の語順で、英文をアタマから理解してゆく読み方(聴き方)を習得する事を目的としている。アタマから訳して行くと当然日本語としては不自然になるのだが、帰り読みをしないので読解のスピードは飛躍的に早くなる。関係代名詞も怖くない。そもそもネイティブはその語順で理解しているのだから日本語の不自然さは問題ない。翻訳など、キレイな日本語に訳さなければならない時にはまた別な技術が必要にはなるけど、それは別問題。とても良い教材だった。

 

読む、聴く、書くは独学するのに困らないが最後の問題は面接のスピーキングだった。準1級の面接では試験官と、新聞記事に載っている程度の時事問題について軽い意見交換をしなければいけないのだ。

これに役立ったのが名著「瞬間英作文」だった。この本を見た瞬間とても良い本だと分かった。

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そして、2級合格から2年後、50歳で何とか準1級に合格。特に英作文は満点を取った。勉強を初めて5年、振り返ってみれば無題のドキュメントな時間が多かった。きちんとやっていれば2年で出来たと思う。独学とは無駄が多いものだと思う。そしてその後は1級を目指そうとも思ったけど1級用の単語帳を見て萎えた(笑)目眩がした。あるサイトによると、1級レベルの単語は、新聞なんかを100万語読んで2度出くわすくらいの頻度の難解な単語が多いそうだ。そんな単語を一生懸命覚える気にはなれなかった。実用レベルの単語や構文を覚えた方が現実的だと判断してそれ以上の英検は断念した。一度だけ娘に付き合ってToeicを受けたがスコアは820点だった。準一級を持っている人としてはまぁ順当なスコアだ。

それからは、ボランティアで英語観光ガイドをやったり(これは、さまざまな旅行者と触れ合ったり、素晴らしいボランティア仲間と知り合ったり、とても有意義な活動だ)翻訳の勉強をしたり、61歳になった今も、グダグダと英語人生は続いている。

 

追記

英語学習は、もう一つの趣味である楽器演奏など、いろんな趣味や、勉強がそうであるように、底なし沼だ。これで終わりということがない。どこまで勉強しても知らない単語は出てくるし、理解できない文章にも出くわす。映画を字幕なしで理解できる訳でもなく、そんな時は無力感に襲われる。投資した莫大な時間に見合った効果があるとは思えない。まあ、趣味とはそんな物なのかも知れない。ボケ防止のトレーニングだと思って続けるのがシニア学習者の正しい態度なのかも知れない(笑)

それでもまぁ、ネットサーフィンしてていきなり海外のサイトに飛んでもそれほど困らないし(インターネット上の情報の6割は英語だと言われている)街で外国人と話すのも楽しいし、役に立つこともある。

2011年の福島原発事故の際は、日本国内の報道がいまいち信用できない中、海外の新聞、ニュースサイトを読んで情報を集めたりもした。1つの事象を内と外から見ることの大事さを痛感したりもした。

また2011年、パキスタンアメリカ軍特殊部隊によって9.11のテロ事件の首謀者ビン・ラディンが殺害された事件があった。

この作戦の顛末が,実際に参加した隊員によって書かれた本「No easy day」が2012年にアメリカで出版された。どうしても読みたかったが翻訳が出るまで待てず、ちょっと背伸びして原書を読んだ。翻訳版が出たのが2年後だったから、大分早く読めて嬉しかった記憶がある。暗殺計画がどのようにたてられ、実行されたのかが良くわかった。この本は後に「ゼロ ダーク サーティー」と言うタイトルで映画化された。

 

顔面神経麻痺1ヶ月

先月の16日に発症した顔面神経麻痺が今日で1ヶ月経ちました。

今回は運が良かったのか、本人的には90%ほど回復したのではないかと思っています。暮らしていてほとんど気になることがなくなりました。家族に言わせると、もう見た目には(麻痺があるのが)わからないそうで、かなり安心してます。

回復期に入ったのは発症後10日あたりから。なんとなく筋肉にチカラがが入ってるかな?みたいな感じがあり、15日目には実感できるようになりました。

20日過ぎてからの回復は目覚ましく、鼻がかめる、飲み物をこぼさない。目が閉じられるとか、毎日すこしづつ色んなことができるようになっていきました。

ステロイドの投与が終わってからは主に顔面のマッサージと、筋肉を動かす訓練をしていました。訓練が効いたのでしょうか。

気のせいかも知れませんが、訓練量の多い筋肉から回復したようです。

初めの頃はおでこと口の周りの筋肉ばかりやっていたのでそこから回復しました。のちにまぶたの訓練も初め、目を閉じる機能も急激に回復しました。

 

顔の右側が全く動かない状態が続いた10日間はけっこう落ち込みました。眼は閉じられないし。食事の時は口が開かない、頬に食べ物がたまる、と言った状態で辛かったです。

これからも頑張って完全に元の状態になるよう機能訓練頑張ります。

それまでは、節制した生活を心がけてゆくつもりです。

 

 

顔面神経麻痺  筋肉がかなり動くようになって来た!

発症後2週間たったあたりから(いまは3週間たってる)だいぶ筋肉が動くようになって来た。おでこのシワをすこしではあるけど作れる様になった。口輪筋が動くようになって、食べ物をこぼす回数が減った。外食ができる❗️笑筋が動くようになって口の曲がりが減ってしゃべりやすくなった。瞼が閉じられるようになってドライアイが改善された。すごくうれしい!

 

そして今日5月6 日、診察の結果、投薬治療がが終わった。今日からはビタミン剤だけだ。と言うことは回復が順調だと言うこと。うれしい。次の診察日は2週間後だ。

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病気すると思い知らされるのは、月並みだけど、健康が最大の資産だと言うことだ。人生を楽しむためにはまず健康でいることが大事だ。

 

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61歳のいま、人生の残り時間が果たしてどれくらいあるかわからないけど、仕事を充実させたり、新しい事を知ったり、音楽を楽しんだり、良い人間関係を楽しんだり、スポーツしたり、家族を見守ったり、楽しい時間がたくさんあれば良いなぁと思う。

療養生活 散歩の代わりはヨガ三昧

もう10日ほど、療養生活を続けている。と言っても顔面が不自由な以外はいたって元気なのだけど。幸い仕事はネット上で完結するので困らない。筋トレも続けている。ただ、寒冷刺激が良くないため散歩を控えている(北見はまだ寒い日が続く)空いた時間はヨガ三昧だ。ヨガを習っていたのはもう30年も前だ。当時の友人、インド人のA.K.バガイさんの道場で教わったものだ。

 

まず、一通りハタヨガ(ポーズ)をしたあと、呼吸法に移る。僕はヨガ呼吸法が大好きだ。

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最初は完全呼吸法。肺を上中下と3つに分け、順番に空気を満たし、順番に吐いてゆく。肺を完全に使い切ることから名前が付いている。効率の良いガス交換が出来る。そしてこの呼吸法のキモは、呼気の長さを吸気の2倍とることで副交感神経優位の状態を作り出し、深いリラックスへとカラダを導くことだ。吸気は交感神経、呼気は副交感神経が支配している。また、いっぱいに拡張された胸膜からは血圧を下げるホルモンが出ることが報告されている。

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次はクンバカ呼吸法。クンバカとは「真空」のことで、空気を吐ききり、肺を空にしたところで気道を閉め、一気に腹腔を凹ませ持ち上げる。お腹が強く凹み、内臓の深部までマッサージされる。特に内臓の下部の鬱血が改善され新鮮な血液が流れ込み若返る。すこし上達したらその状態から腹筋を左右に動かしさらに深いマッサージをすることが出来る。それが難しい場合は手で直接マッサージする。特に右肋骨下縁から指を潜り込ませてする肝臓のマッサージも有効だ。

 

この二つの呼吸法の効果は絶大で体調が整う、ただ体調が良い時にはあまりやらないのが僕のダメなところだ。

 

最後に瞑想をして、なんとなく深いところに手が届いたような気がして終わる。

顔面神経麻痺になった。

4月16日午後21:50分ころ、歯を磨いて鏡に写った自分を見て違和感があった。試しにニヤッと笑ってみたら唇の形が歪んでいる。まずいな、と思った。筋麻痺かも、よくて顔面神経麻痺、悪ければ脳血管障害だなと思いすこしビビる。

夕飯は普通に食べれてた。ご飯も口から漏れず汁物も飲めた。聴覚も平衡感覚も正常で手足も動く。ウクレレも弾ける。症状は顔面だけでしかも額の皺の消失も見られたので運が良ければ末梢性の顔面神経麻痺かなと思いすこし安心した。顔面神経麻痺は中枢性と末梢性の2種類あるが、見た目の症状が重い方が末梢性で、病状は軽いのだ(解剖学と病理学を3年学んだのでこの辺りはすこし詳しい。) しかし所詮素人判断で、そのまま寝るわけにもいかなく、夜間救急センターに電話した。救急センターは内科専門ということで脳神経外科病院を紹介され電話してみた。幸いにも診察してもらえることになり22:15分ごろクルマで向かった.症状が悪化した時に備えて娘にサブドライバーとして同行してもらった。即入院となれば今夜は家には帰れないと言う可能性も考慮していた。

問診と、機能検査のあと、人生初のMRI検査を受けた。音が大きくてうるさい検査だと聞いていたが思ったほどではなかった。終わりの方は不覚にも寝ていた。結果、脳血管には異常なし。脳腫瘍もなく、初期の末梢性の右側顔面神経麻痺であろうと診断された。とりあえず家には帰れる。翌日の受診を指示されクスリをもらって深夜1:30帰宅。最悪の事態は避けられたので安堵しながら寝ることができた。

 


4月17日2日目

翌日起きるとすこし悪化しているように思えた。症状は、口をすぼめる口輪筋と、外側にひっぱる笑筋や口角下制筋、おでこの前頭筋等の麻痺が進行したような気がする。懐かしい解剖図鑑で確認した。顔がすこし歪んでいる。せっかくの美男子が台無しである(笑)

ただ、脳に異常がないのが救いだ。脳が元気なら知的活動に影響ない。(実際に知的活動しているかどうか疑問の余地があるが(笑))まだ人生が楽しめる。四肢も大丈夫なので音楽も続けられるしスポーツもできる。これはありがたい。不幸中の幸いである。治るまでは女の子を口説くことが出来なくなるかもしれないが、どうせ歳だし、元々モテないのだから関係ない(笑)まして顔面神経麻痺の治癒率は7から8割程度。なんとか治るだろう。

口元が不自由ですこし食べ辛く、喋りづらい。抗ウイルス剤、ステロイド剤、ビタミンB、点眼薬、顔軟膏を処方されている。眼のクスリは、瞼が閉じ切らないので結膜の乾燥を防ぐ必要があるのだ。寝るときは瞼が開かないよう瞼にテープを貼り付ける(笑)

 

4月18日3日目。

朝は、スターバックスでコーヒーとドーナツを食べてゆっくり過ごす。

症状は変わらず。クスリを飲み安静を心がけて過ごす。

顔面神経麻痺は、事故や怪我による神経損傷を除けば、ヘルペスウイルスが原因だと考えられている。ウイルス自体は普段は共生しているものなのだが、なんらかの原因(ストレス等)で免疫が低下したときに活性化して神経を攻撃する

。攻撃された神経は骨のトンネルの中で腫れ上がり、圧迫され機能が低下する。その結果麻痺が出現するのだ。

治療は抗ウイルス剤でウイルスを叩き、ステロイド剤で神経の腫脹を取り除き、ビタミンBで神経の損傷を改善する。

あとは動かなくなった筋肉の血行を改善するための温熱療法、マッサージ等である。

 

4月19日4日目  症状は変わらず。

受診する。主治医が不在で院長の診察を受ける。主治医より楽観的な診たてだ。こちらも拍子抜けした感じになった。とりあえず次の受診は一週間後、すこしラクになった。

元気なようでやはり歳なのかなとも思ったが、調べてみるとこの病気には年齢による発症差はなく、歳のせいではないとわかりすこし慰められた。

来月のワイン講習会にはぜひ参加したいなぁ。

 

 

 

 

4月9日 カーティスクリーク  ハモンドオルガンライブ

はじめてのハモンドオルガンライブ。ナマで聴くのははじめての楽器だけれどなんとなくストイックな感じかする楽器。途中、邦画のテーマ曲やR&Bをおりまぜながらフォービートのスタンダードジャズがメインだった。オルガニストトークも楽しくあっという間の2時間だった。僕の位置からは鍵盤を弾く腕とボリュームペダルを踏む足がよく見えて、どのようなニュアンスつけているのかよくわかり、とても参考になった。オルガンの音色を活かしたクールな雰囲気から、まるでトランス状態のゴスペルシンガーのシャウトのような情熱的な音まで自在に操る素晴らしい演奏家だった。

 

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ドラマーは、かつては和田アキ子のバックバンドを務めていたというキャリア48年のプロドラマーだ。年齢を感じさせないエネルギッシュなドラミング。瞬時にオルガンの意図に反応し、変幻自在なリズムを次々と繰り出して行くばち捌きには圧巻で、決して飽きることはなかった。2人の、音楽を通したコミュニケーション、それこそがこの夜の一番の聴きどころだった。これぞライブの醍醐味! 

 

ジャズについては批評するほどの知識は持ち合わせていないのが残念だが、隣り合わせた客との会話が面白かった。

去年の11月に北見に引っ越して来たという男は僕の2歳下。同じような音楽を聴きながら育って来たので話に花が咲いた。同世代と言うのは共通の話題が多いので楽しい。またプレーヤーとしての活動もしておりさらに共通点があった。医師だと言うその男性とLINEを交換し、再会を約束して店を後にした。良い夜だった。